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武士が政権をとった後、なぜ天皇は排除されなかったか?

武士が台頭する鎌倉時代までは天皇の血筋によって歴史は動いてきた。長屋王の変藤原広嗣の乱、橘奈良麻呂の変などは正統な天皇の血筋を守るための争いであった。そしてその正統とは藤原氏にとっての正統であった。同じく院政も早くに同じ血筋の後継者を確立するための知恵だった。
 
では武士が政権をとった後、なぜ天皇は排除されなかったか?
それは依然天皇が叙任権という権力を保持していたからであり、荘園制が江戸幕府まで残っていたというのも大きいだろう。つまり天皇は権力を与える存在であり、それを排除するということは自らの権力も無くなるということを意味していた。
さらに神話から連なる日本古来の為政者である天皇の求心力というのは、いくら武士が主導権を握ろうとも根強く、例えば足利義満天皇に取って代わり日本国王になろうとしたという考え方が存在するが、仮に天皇を排除したとしたら、当然幕府に不満を持つものは多く居たであろうから、それを口実に大規模な倒幕運動が起こるであろうと思われる。そのような危ない橋を渡るよりは何もせず従っていた方が賢明だったのだ。

荘子 大宗師篇

言葉

「且つ方将に化せんとするの、悪くんぞ化せざるを知らんや。方将に化せざらんとするの、悪くんぞ已に化せるを知らんや。吾特り汝と、其の夢未だ始めより覚めざる者か。」

 

「考えてみれば、自分ではこれが変化だと思い込んでいることが、実は少しも変化していないことであったり、まだ変化していないと信じていることが、実はすでに変化してしまっていることだってあるのだ。このような話をしている私だって、お前と一緒に夢を見ていて、その夢から覚めていないのかもしれない。」

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人を動かす原動力とは?

人がやる気を出したり、行動させるものとは何だろうか?

 

個人的な話で申し訳ないが、ちょうどいいのでさせてほしい。

現在、京都の本能寺にて「大信長展」という資料展が開催されている。

信長好きの僕は絶対に行きたいと思っていたところ、ちょうど京都へ行く機会があったので、ついでに行ってきた。

 

内容の8割は戦国武将達が自ら書いた書状で、甲冑や遺品など生々しいものはあまりない。

この時点でシブい。めちゃくちゃシブい。

多分信長や戦国時代に何の興味もない人が見ても、何も面白くないだろう。

本能寺の資料館には何回か行ったことがあるが、今回に限らず、基本的にあまり万人に媚びない内容だ。

お土産、グッズも一切ない。

 

話を戻すと、「大信長展」と銘打ってるが、信長だけでなく、息子や家臣、ライバルなどの書状などで構成されている。

そしてそのメンツがやばい。

武田信玄上杉謙信毛利元就吉川元春小早川隆景北条氏政細川幽斎千利休前田利家柴田勝家池田恒興徳川家康豊臣秀吉

当時の人は見れなかったであろう、敵対する武将同士の書状が並んでいてすごく興奮した。

織田信長武田信玄の生の朱印なども見ることができた。

 

しかし、そこから想像するのがさらに面白くさせる。

当時の書状を目の前にし、当時の武将達はどういった気持ちで書き、どういった人間であったのか想像する。

それはすごくワクワクさせることで、たまらないのである。

例えば小説を読んでいても、読んでいるのは字面の情報だけでなく、書かれていなくとも、その背景や感情などを人は想像する。それにワクワクするはずだ。

絵などはその想像を補助してくれるであろうが、それは必ずしも正解ではない。

実際に会ったり、体験してみなければ分からない。

 

正解は絶対に分からない。それが一層ワクワクさせる。

 

対象にもよるであろうが、ファンの心理というのは結構そういった想像の要素が大きいのではないだろうか?

恋愛においても、どんな人なのだろう?何が好きなんだろう?と。

想像をすることは人をワクワクさせる。

そしてそのワクワクは人を動かす原動力にもなり、大きな進歩を生むように思う。

常にワクワクしていることはとても大事なことなのだろう。

このワクワクが人を感動させ、動かすのだ。

6人たどれば、みなはらから

随想

「スモール・ワールド現象」という理論がある。

簡単にいえば友達の友達など、人間関係を辿って行くと、6人目で全世界の人間とつながることができるという理論である。

 

最初知ったときはかなりビビった。

世間って狭いなぁと思うことはたびたびあるが、まさか6人なんて。

 

でもちょっと考えてみるとこの理論も正しいのではないかと思える。

例えば普通の人でもラインやツイッターで繋がってる人が大体200人〜300人くらいいるだろう。それがそれぞれ一人ひとりにある考えると、友達や知り合いを辿って行くとネズミ講の図のように関係が膨らんでゆくわけだから、なるほど確かに正しいのでないかと思えてくる。

 

そういえば統計学の本でこんな話を見たことがある。

それは休日の遊園地で知り合いと会う確率は実はそれほど低くないというもの。

簡単に言うと、例えば小学校の同級生に会って感動したとしても、それが別に小学校の同級生で無くてもよくて、中学校の同級生や会社の同僚、親戚であっても同じように感動していたはずだ、というものだった。

なるほどなと感心した記憶があるが、なかなか納得できる。そう考えるとやはり世間はめちゃくちゃ狭いのだなと思える。実は気づいてないだけで街中で知り合いや有名人と何度も会っているのかもしれない。

 

突然だが、僕は「水曜日のダウンタウン」というテレビ番組が好きだ。

数ヶ月前にハマって、ネットでバックナンバーを一気に見たのだが、そのなかに「電話数珠つなぎ、6人で辿りつく説」という検証があった。道端のその辺の人に声をかけ、友達や知り合いに連絡をしてもらい、目的の有名人まで6人でいけるかというものだった。これはまさしく「スモール・ワールド現象」の検証である。そして結果的に本当に6人で目的の人に辿りついていた。なんなら3人や4人くらいで辿り着いてる人もいた。

動画はネットに落ちているので興味があったら是非みてみてほしい。結構ビビる。

世間って面白いなと思う。

ウルトラスタンプラリー

今東京を中心とした駅でウルトラスタンプラリーというものが開催されている。各駅一つひとつにひとつの怪獣などが割り当てられ、駅構内にスタンプがあり、それを集めると賞品が貰えるというものだ。
 
このスタンプラリーが始まってから、週末に子供がお父さんを連れ出してスタンプを集めている光景をよく見るようになった。個人的にすごく懐かしい。僕が小学生のときはポケモンスタンプラリーが開催されていて、同じようにお父さんを連れ出して全駅制覇し、メダルを貰った思い出がある。私の父は無口で亭主関白だったので普段はほとんど口を聞くことは無かったのだが、この時ばかりは僕が主役。堂々と父にわがままをいい、普段話さないことをいろいろと話した。
 
このスタンプラリーはもちろんスタンプを集めることが目的だ。しかし本当に重要なのはその集める過程なんだと思う。父と子がスタンプを集めるという同じ目的のために一緒に行動する。昼お腹が空いたら一緒においしいものを食べる。疲れたら一緒にお母さんが待っている家に帰る。そうしたことのほうが大事な思い出となるのだと思う。
 
こういう機会を与えてくれるJRは素晴らしいと思う。そしてそうしたイベントを今でも続けてくれているのはとてもうれしい。また今回の題材であるウルトラマンはおそらくお父さん世代が見てきたものだろう。お父さんにとっても懐かしくいい思い出になるのではないだろうか。
それに僕自身スタンプは集めていないが、週末にそういう光景を見るとなんだか嬉しくなってしまう。側から見ていてもなんだか良いものだ。
こういうイベントは本当にずっと続いていてほしいなと思う。

社会の縮図と役割を持つということ

そういえばこのまえ牧羊犬の羊追いのショーを見てきた。

牧羊犬がずーっと向こうの山のほうまで走って行って羊を100頭くらい連れてくるのはなかなか迫力があって面白かったのだが、それを見てて思ったことをいくつか。

 

まずそのショーを見ててふと社会の縮図を見ているような気になった。

世の中にも100頭の羊のように指示待ちの人間がいる。どの社会にもいるはずだ。

そしてそれらに指示を出す犬のような役割の人間がいる。

最後にその犬を動かしている人間がいる。

なんとなく社会のようだなと思った。もちろんトップの人間が怠けて犬に指示を出させないと犬が実権を握ったり、頭のいい数頭の羊がトップと変わったりする。

何というわけでないが、なんとなく社会の縮図のように感じた。

 

もうひとつは牧羊犬について。

僕の実家も犬を飼っているが、やはりただの家庭犬となにか役割を持った犬は同じ犬でも全然違うなと感じた。

例えば普通の家庭犬は可愛がれば、じゃれてきたり舐めてくるだろう。でも牧羊犬は可愛がってもちょっとこっちを見てくれるものの基本的に羊をずっと見ていた。

おそらくきっと自分は羊を管理する役目があるのだと深く認識しているため、こっちが可愛がってもあまり乗ってこないのだろう。

なにか役割を与えられているのと与えられていないのでは全然ちがうのだなと感じた。

これは日常でも言えることなのではないだろうか。

引きこもりとかニートとか定年とか、いろいろあるが、選択肢がありすぎると人は逆に決められない。役割を与えてみると良いのじゃないだろうか。

聖書・コーラン・古事記

キリスト教が「聖書」を読むように、イスラム教が「コーラン」を暗誦するように、日本人は「古事記」をよく読むべきだと思う。
 
古事記」を読めば、日本が分かってくるし、誇りを持つようになる。
古事記」は単なる事実の羅列ではなく、全て物語になっているから単純に面白いし、飽きない。
日本人なら一度は通読したことがある。それくらいになってほしい。
 
海外に赴任した外交官がまずやることは日本についての勉強だという。現地で日本についてつっこまれて、もっと日本について知らなくてはと思うのだという。
 
学校でも日本史や国語で一通りやるべきだ。
 
我々は我々の生まれ育った国についてもっと知らなくてはならない。

 

人生なんてこんなもんでしょう

人生なんてこんなもんでしょう

「かまいたちの夜」的発想

最近「かまいたちの夜」というゲームをしている


このゲームは名作で、僕はもちろん123とやった


書きたいことは山程あるが、今回は僕がプレイしつつ思ったことを書く


このゲームの特徴は普通のミステリー小説をゲームに持ってきたというところだ

おおもとはミステリー小説であるのだが、そこにゲームならではの映像と音楽、さらにプレイヤーの選択によって物語が変わってゆくという要素などを盛り込んだ


ここがこのゲームの革新的な点であると思う


小説という分野とゲームという分野を融合させたのである


僕はここに新しい発想全般に通ずる考え方があると思う

つまり新しい発想とは既存の媒体の融合なのだ

新しい発想は必ず既存の媒体の組み合わせによって生まれている


そう考えると、新しい発想をするというのは意外と難しいことではないのかもしれない


ヒントはあらゆる日常に転がっている


大事なのは我々がそれに気づくことが出来るか否かということだ




セルフイメージ

成功するにはイメージすることが大切だ。

 

意欲が湧いてくるし、詳細にイメージすることで同時に予行演習にもなる、そこで不明な点を見つけたら余裕を持って修正できる。


ナポレオンも「事前によく考えているから成功する。普段から考えなくともパッと天から解決策が降ってくるわけではない」と言っている。

 

また、よくイメージ出来ていることは、他人によく伝えることが出来る。


詳細にイメージすることで、それには今なにが足りないのか、ではどうすれば良いのかもわかる。


成功した状況を出来るだけリアルにイメージする

それが出来たらもう目的の半分は達成したようなものなのだ