満たされない釈迦

未完こそ我々を動かす原動力であり、未完のものを完全にしたいという欲求から我々は創造し、新たに作り上げるのだ。

 

何もかも完成された世界、それは地獄である。

釈迦はとある王の息子だった。王であるから上手いものを好きなだけ食えて、セックスしたかったらいつでも一級品の美女が相手をしてくれた。生まれながらにしてトップであり、生まれながらにしてすべて完成されていたのである。

 

その釈迦が行き着いた先はただ自らを苦しめ、全てを「捨てる」ことだった。

 

これこそが仏教の思想であるが、完成された人生を生きた人間はこのような結果に行き着くのである。

結局満たされた世界とは何だったのか、その虚構だけが残る。

 

そしてそんなものには何の価値もないと気づくのだ。

 

貧しい地位に生まれたから偉くなりたい、金に苦労したから金持ちになりたい。

その欲望こそが人を輝かせ、人類を動かしてきた。

 

我々は幸せである。

満たされないものを追うことが出来るのだから。

満たされないことを謳歌せよ!

満たされないことを満たそうとする、きっとその過程が一番幸せな時なのだ。