しかし、それは決してだらしなかったというだけではない。彼なりの現実への投げかけと反駁だった。
また修行中に一度、自殺未遂をおこしている。
カラスの声を聞いて悟り、修行を終えた後は妻帯し酒を飲み、肉を食らった。
また、彼は数々の奇行で知られている。
ドクロを杖の先に刺し町中を歩き回ったり、朱色に染めた鞘を腰に差し、町人の前で抜き放つや驚く町人を尻目に木刀であると笑い、「見かけに騙されるな」と教訓めいた。
しかし単なる狂人ではない。その行動には必ず意味があった。
彼が生きた時代は足利幕府が徐々に没落していき、応仁の乱が勃発し、いよいよ戦乱の世となっていった時代である。
彼の行動は、そのような現実に対する一種の投げかけであったのだと思う。
またそれは、彼が本来は国を治めるべき、天皇の御落胤であったという複雑な出生も関わっていると思う。
勝手な想像だが、彼は実直な人間であったのだと思う。高貴な身分に居て出家し、自分の存在意義、無力さなどをひしひしと感じていたのではないだろうか?
彼が一度起こした自殺未遂。20歳前後の多感な時期だったとはいえ、それはそうした考えの1つの結果ではなかったのではないかと思う。
また彼は修行が終了したことを認める印可状を受け取らず、そのまま自適な生活へと入っていく。きっと今さらそんなものを貰っても何の意味も無いと思ったのだろう。
世の中で本当に重要なことは何か、人から自らの行動を評価してもらうことか?自らの出生に悩むことか?いや、そんなことじゃない。多分そう考えた。
その意味で、彼が行った数々の奇行は彼なりの教えだったのではないかと思う。
一休の晩年の肖像画がある。
悩ましげに眉毛を垂らした、ヒゲヅラの汚いおっさんである。
しかし僕はこの絵を見るたび、心にグッと何か迫るものを感じる。
ただのおっさんではなく、様々なことを考え、様々なことに悩みながら生きた「人間」を感じるのである。