言葉よりずっと重要なこと

よく単語の語句を分解して、この字にはこういう意味があってなどという論法がある。
わかりやすく例を挙げると、"Education"は「教育」と訳されているが、これだと一方的に教授するという意味を持ち、本来の感覚とは違う感覚で捉えられてしまう。だから福沢諭吉は「発育」としようとしていた。もし「発育」と訳されていたら今の教育はもっとよい方向に変わっていたのではないか、と。
 
しかし、そんなことはまったく意味のなさない不毛な論理だ。
言葉が変われば、そのものが大きく変わるだろうか?
 
僕はそうは思わない。
 
結局は人の努力による結果だからだ。
その言葉がどのようなものだろうと、現実に人が努力すれば変わるだろうし、逆に言葉がとてもいい意味の言葉であっても、人が怠ければ悪いものになるのだ。
 
少し前からキラキラネームというものが、流行っているが、例えば変な名前をつけられてしまった子供が変な人間に育つかというとその限りではないはずだ。変な名前でも立派な人は居るし、立派な名前でも変な人は腐るほどいるのだ。
だから冒頭のような、言葉をスケープゴートにして人の怠慢を隠すようなことはするべきではない。
言葉などという瑣末に囚われていたら、いつまでたっても本質的な部分を考えることが出来なくなってしまう。
言葉の問題は一部のマニアが内々で盛り上がっていれば、それでよいのだ。
あたかも大衆的に支持されているように、大手を振ってテレビや新聞で真剣に披瀝されているのをみると、どうもみるに耐えない。
 
結局は人が現実でどのように物事を行うか、それ次第だから。